ふわっと透る

20代女ミニマリストの思考記録

家事は気晴らし

たまに「一日中幼児の相手をするのは疲れるから、仕事はいい気晴らしになる」という話を聞きます。

私には社交性がほぼないので、雇われ仕事が気晴らしになる日が来るとは思えないけれど、家事は素敵な気晴らしだと思ってやっています。

 

とか書いて、全然極めてないです。

料理も洗濯も掃除も好きだけど、極めてるのはスピードだけ。

どんだけ速く終わらせるか。・・・何かごめんなさい。

 

めんどくさくて2週間以上さぼった時期もあります。(トラブルで消耗して)

やらなかったら、主人がちょっと苦戦しつつやってくれました。

ふたりともやらなかったとして、死にはしません。

(こういう極限の価値観一致は便利です)

 

ただ、長期で見るときちんと生活したほうが気分よく暮らせて倹約できます。

だから復帰できる心境になったら復帰。

それ以上余計なことは考えない。

(外で一日働いてくれてるのに家事まで・・・とか)

 

モノが少ない場合、仕舞い場所は普段から定まっていて。

仕舞い方もシンプルです。

仕舞い慣れた場所に機械的に仕舞うだけなら、億劫な時期でもこなせます。

 

自炊しないとゴミは増えるけど、モノが少なければ散らかりません。

とりあえず片付いてさえいれば荒んでは見えない。

この「荒んでは見えない」って、最低ラインですが凄く大事かなと思います。

我が家の家事は、このラインを守ればいいということにしています。(おい)

 

うちの主人は、自分は整理整頓が不得意で出しっぱなしもする性格なのに、片付いてる部屋が大好きです。

こういう矛盾した性格だと非常に助かります。

需要が分かりやすくていい。

 

ということで、ノルマは自分の家族の「ここ押さえといてくれれば満足」だけにして、他の家事は趣味か気晴らしに分類しています。

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しかし、ここまで書いておいて違うんです。

私は家事がめんどくさくてさぼってたんじゃなかったんだと、最近気づきましたよ。

私のスピード手抜き家事すら億劫になる時・・・それは、

 

「私はあの件で家事もできないぐらい消耗してるのよ」って、口に出せないことを行動で表してるとか。

物凄く気が乗らない何かがあって、「洗濯や掃除よりまずそっちに取り掛かるべき。・・・でもやりたくない」を自分の中で繰り返してるとか。

 

前者はもうしょうがないかな(自分にも甘いので・・・)と思ってます。

が、後者の場合、気が乗らない用事はいったん無視して洗濯やお掃除に逃げたほうが晴れ晴れします。もういいんです。

 

「なんにもやる気になれない・・・怠惰すぎる自分が嫌になる・・・」って感じていても、体力的には掃除機がけも簡単な料理もできたりする。

 

なのにできないのは、気力が湧かないから。

 気力が落ちるとこんなに身体は動かないのか・・・

って感じるのですが。

 

実はその気力、通常通り湧き続けてます。

たぶん生きてる限り湧き続けてます。

気力を無限に消し去る呪いがかかっちゃっただけ。

 

「そんなことやれるなら最優先のあれに取り組まなきゃ」って無意識にかけてしまった制限は、たまに自分への呪いになります。

 

このルールをいったん放棄すれば案外すぐ元気になれます。

活動的にこなす自分を確認すれば、自信も回復します。

家事はその取っ掛かりとして素晴らしいと思います。

毎日やってるから慣れてるし、やろうと思えばいくらでも簡略化できますから。

 

いつもの元気な時は優先順位を決めてこなしたらいい。

でも、なんか気力湧かないわ~って時、普段の優先順位を放棄する勇気も必要だと思う。

 

あと、そんなにも嫌だったことは、今後やらなくて済むように対処すること。

他の人が我慢してるからって流されない。

何をどのくらい(どんなふうに)負担に感じるかは、1000人いたら1000人皆違う。

他の人が我慢してるとか関係ない。

 

あ~それで今日は何が書きたかったんだろう・・・